RICARDO'S ROOM

僕の日本語物語

2016/09/21 06:33 on

CATEGORY

最近、日本語をたくさん勉強してます。ネットで「NihonGO」という企画をやってます。アニメや特撮や僕の今まで経験などを生かして日本語を楽しい形で教えるプロジェクトです。頑張ってます!元々日本語が大好きだから、仕事していると感じなくてとても楽しいです。

Foto 1

子供の時にテレビで「巨獣特捜ジャスピオン」と「電撃戦隊チェンジマン」を毎日見ていました。ブラジルでは日本の放送と違って週に一回ではなく、毎日やってました。50回ぐらいの番組は3ヶ月で終わっちゃうから、何度も再放送があって各話を暗記するまで見ていましたね(笑)。で、ストーリの中にそれぞれのキャラクターの名前は字幕にカタカナとか漢字で出てくるんじゃないですか?怪人の名前とか。子供だった僕はそれを見て一番最初の日本の文化のショックを受けました。「どうやってそいう複雑で絵みたいな字でコミュニケーションをとっているだろう」と思って。。。で、その字幕を適当に学校のノートとかにコピーして遊んでいました。いつか、僕も日本語読めるようになる!と自分に誓って。

その頃、お父さんから日本語・ポルトガル語の辞書をもらって、その中にひらがなとカタカナの図が載ってました。それを使って、特撮に出た字幕を一字一つ一つ解きながら、ひらがなとカタカナを覚えました。自然なプロセスで最高に楽しかった!

Foto 2

20年前のノート。カタカナとひらがなを読んで、番組のタイトルをローマ字で書き直し。

自分の中で特撮へのパッションがどんどん大きくなって、他のファンとも出会って、1996年に「Neo Animation」というグループに入りました。僕たちの活動は月に一回サンパウロで「ヴェルゲイロ文化センター」という所にアニメと特撮を上映するイベントを開催することでした。とても小さいイベントでした。100人以下しかは入れない室で、僕たちがテーブルに28インチのブラウン管テレビ(笑)を置いて、家からのVHSプレイヤーで当時のスーパー戦隊やアニメなどを来ていた人たちに見せました。そのイベントは無料で日曜日の朝9時からでした。まだ、インターネットとかは普通使わない時期だったし、テレビでやってた番組しか見れない時期でもありました。自分の趣味を開発するにはそういう小さな集まりしかなかったです。なつかしいな。。。14歳か15歳だったかな、その時は。

Foto 3

最初の日本語学校

で、初めて日本語学校に通い始めて、新しい世界が目の前に開いたと覚えてます。サンパウロの中では日本人街があります。「リベルダーデ」という。そこに、昔は日系人向けのレンタルビデオ屋さんが幾つかありました。それは日本にいる誰かがテレビでやっているものを録画して、そのテープをブラジルに送って、ここに住んでいる日本人や日系人にレンタルするという店です。90年代にたくさんありました。日本語を習い始めた幼いヒカルドは一人で何時間もそこに置いてあったビデオテープを睨んでた。。。ゆっくり、一枚一枚を細かく見て、まだ日本語がよく読めなかったからだいぶ時間かかりました。そこに仕事してたおばちゃんにいつも「読めるの?」と質問されて、「なんとなく!」と答えたのはよく覚えてます。「変な外人だな。。。」と思ったんだろうね、きっと(笑)。
そいう店に日本で90年代の後半に放送された特撮やアニメを借りて、字幕なしで何回も家で見てて、「Neo Animation」のイベントにも持っていて、みんなに紹介したりしてました。1999年に日本へ留学するまでは僕の日々は、学校を除いて、日本人街へ行って、頑張って好きなものを発見して、家で日本語の辞書を調べながら、ビデオを見ることでした。何度も同じビデオを見て分析して、今度月に一回のイベントでみんなに細かく紹介してました(笑)。

Foto 4

27年前に発売されたビデオテープ!宝物です。

これ以上文章が長くなると大変だから話をまとめますね(笑)。
昔、日本語を習い始めた時自分のやり方をステップバイステップ作って好きなものを使って楽しく勉強しました。そのあと、日本に1年間住んで、それからジャムに入って、他にもいろいろ最高な経験もありましたが一番最初の時の憧れは強く印象に残ってます。

僕のその大切な気持ちと学習法は今度日本語を習いたいブラジルのみなさんの力・モティベーションになってほしい!それは「NihonGO」という企画です。
これからもちろん音楽と一緒にその道も進みたいな!みんな応援してくれ!!:)

長くなってごめんなさい。。。

また来週!

チャウ!:)

ヒカルド's ルーム